K. JUNO: キリアンさん、皆さんこんにちはK. JUNOです。 KILIAN: こんにちは K. JUNO: 今日はどうもありがとうございます。 KILIAN: こちらこそ。 K. JUNO: えぇ、歌っている時と違って、淡々とお答えするかと思いますけども、よろしく! よろしくお願いします。早速質問の方へ進みたいと思います。 KILIAN: 過去を掘り返すことになりますが、K. JUNOさんが大学でバンドを組んでいて、それで突然音楽をやめて、スタントウーマンになったとウェブサイトに書かれていますが、その経緯を教えていただけますか。 K. JUNO: 音楽をなぜ辞めたか。それは限界を感じたからでしょうね。10代の始めに歌を学び始めて、同じ頃にギターを独学でやっていまして、その後ロックに傾倒して行くんですけれども、いつまでも人の真似しかできなかったんですね。で人の作った曲を人の弾いたように弾いて、褒められて何か意味があるんだろうかというところにずっとつまずいて、前に進めなくなったんですね。 だからと言って、何かオリジナリティのあることをできるのかというと、何か作れるのかというとたいしたものは作れなくて、ちょうどそういうタイミングにスタント(日本ではアクションという仕事があるんですけれども、主に舞台の上で戦う芝居をするんですけれども、体が柔らかいのと、後元々芝居をやっていたので、軽~い考えでできるんじゃないかなと思って、身を投じてみたところ、なんと周りはアスリートばかりで、運動の経験があまりないのは私だけみたいな状況でマイナスのスタートだったんで、逆にものすごく闘志が湧いてきて、「よしっ、ここで一番になってやる!」という気持ちだけは常にあったんですけども。結局舞台に出られるようになるには1年くらいかかったんですけれども。そこでプロとして期待に応えること、それから一人でもぼうっとしていると怪我をしたしまうようなそういう状況なので、仲間を信頼することそしてされること、ということを学びましたね。皆が素晴らしいライバルであり、先生でありまた、仲間であるという。そこで全ての基礎を学んだ気がしますね。一つのことに熱中してしまう性格なので、で…やはりそうでないとできないような仕事だったので、全くアクションをやっていた5年半くらいかな、その間には本当に全く音楽には触れなかったという、ほとんど聴くということもなかったと思いますね。 KILIAN: それでまた歌手/音楽家になるきっかけは何だったでしょうか? K. JUNO: アクションに於いて行けるところまで行ったかなという自分自身では感覚があったということと、私自身の性格として、変化とか冒険というものを体が好んでいないんですね。 だけど気持ち的には常に新しいことにチャレンジして行きたいどんどん変わっていきたいと思っているんで、5年くらい同じところにいると何か安住してしまうんじゃないかという危険を感じ始めるんで、何か別のところへ行かなくっちゃ、新しいことを初めなくっちゃという焦りが出始める、そんなころと重なっていたのかもしれないですね。で、音楽を辞めた理由っていうのがやはり曲を作れないということだったんですけれども、周りを見渡してみると皆曲なんか作っている訳なんですね。で、彼らに比べて、私自身の能力はそんなに低いのかというと、そういう風にも思えなくて、できると言う風に自己暗示をかけて、何とかなるんじゃないかと。色々なことをこれまでに乗り越えてきたというのもあったので、誰でも最初は初心者の頃はあるんだから、最初できないというイライラだけを乗り越えれば、後は何とかなるんじゃないかなという気持ちで試しに一つ曲を作ってみようということで、やってみたら結構いけているなっていう感じでどんどんどんどん後から湧いてきたんですけれども。今振り替えてみると、なぜ以前は曲は作れなかったのかというと、そういう時期ではなかったということかなと。必要な道具であるとか技術、知識というのをどんどん溜め込んで磨いて行く時期であって、道具はあるけれども材料がないという状態だったので、音楽だけで音楽をやろうとしていたから、中身はなかったじゃないかなと。言葉は喋れるんだけど、喋る中身がないという状態だったから、できなかったんだなっていうことですね。で、もうその時になると、何か色々言いたいことが溜まってきていたので、一気にそれを曲として噴出していたという感じですね。 KILIAN: K. JUNOさんは日本の文化がとてもお好きなようで、現代では日本の心が失われつつあることをブログでも訴えています。それからアメリカに対して色々と批判的なコメントもあります(私も同感ですけど)。そのK. JUNOさんを見ると、今までは主に英語だけで歌っているのは何だか不思議な気がします。日本語の方が日本 人の耳にすんなりと入ると思いますが、あえて英語で歌おうとお決めになった理由を教えて頂けますか。 K. JUNO: 私がやろうとしていた音楽はロックであって、そのロックというのは私にとって最初から英語だったんで、日本語でもドイツ語でもスペイン語でもなく、英語という選択肢しかなかったですね。日本語でのロックと言うものとの出会いは私の人生において今でもないですし、たぶん耳に入っていても、それは私の体に入っていないので、それをロックだとは認識していないし、耳から入って来たその日本語のロックというのは私がそのままやるということはないです。日本語でやるというのは、私にとってはチャレンジであって、クリエイティブな事なんですね。 単に英語の歌を日本語に移すというような日本語の扱い方というのもしたくないなと思っています。 例えば民族音楽をやるとすれば、やはり現地の言葉でやるのは自然だと思うんですよ。それと同じような感覚ですね。で実際日本語でないと、聞けないとか、耳に入らないという日本人といのはいるんですけど、そういうリスナーというのはいるんですけど、そいう人たちというのは音楽自体を聞いていないんじゃないかなという気はとてもしますね。 極端な話、バイオリンにも「言葉」があるし、フルートにも「言葉」があるし、そいう一つ一つの息づかい、音というのを聴こうという意志がない限りは、例え自分の国の言葉であっても、深く感じるということは出来ないんじゃないかなと思いますね。 KILIAN: 外国語と言えば、またも噂話で申し訳ありませんが、中国語も達者でいらっしゃると英語版のWikipediaで読みましたが、本当でしょうか。 K. JUNO: 達者という程ではなかったかも知れないんですけど、発音に非常に拘るので、とても達者に聞こえるかもしれませんね。日本人というのは結構あたまの中で文を正しく組み立ててから喋ろうとするので、私もそうなんですけど、それできれいな発音で喋ってしまうと、とても堪能な人だと思われて、とてつもない早口で捲し立てられて、困ってしまうことも多々ありますね(笑)。 KILIAN: そもそも中国語を習ったきっかけは? K. JUNO: 直接のきっかけはやはりアクションですかね。香港に行きたかったですね。当時はまだ中国に返還されていなくて、イギリスの植民地だったんですね。アクションをやっている時に、日本のアクションは日本の武術である「空手」が基本なんでけども、やはり人と違うものを何か身に付けていないと、追いつけないなと思って、私が体が柔らかいのを利用して、足技を練習していたんですけれども、それは韓国のTae Kwon Doという武術なんですけども、それとは別に香港のアクション映画を研究したりしまして、えぇ、立ち回り(choreography)何かも自分でつけたりするんですけれども、そのネタ(笑)、ネタを蓄積したりとか、色々してたんですけども、勉強してたんでけども、その内「あっ、ここ住みたいな」という風に思うよになって、行こうって決めて、それから一年間言葉を勉強して、実際に飛びました。 KILIAN: 今後は中国語で歌う予定は? K. JUNO: やってみたい気持ちはとてもあるんですけど、実際にそのビジョンを描けるほどに近くはないですね。自分の音楽と中国語の音を融合させるという所まではまだまだ行けないで、ただ気持ちとしてはとてもやりたいですね。 KILIAN: 音楽だけではなく、ブログでもK. JUNOさんのパワーがよく伝わります。時によって、その怒り気味な口調は私がとても好きですが、怒りやすいタイプですか。 K. JUNO: 怒りっぽいか。いつも怒っていますよ(笑)。なので、これ以上怒らないと思います。よく「怒らない人だね」って言われました。喧嘩しないねって。あまり普段は外には爆発させない…です。なので、怒らなくちゃいけない場面で怒るなんって言う時は逆にもの凄いストレスで、大変なんですけども。真面目に生きていると必ず怒りであるとか、疑問、疑念っていうものが湧いて来ると思うんですけども、それをね、その場で発散させられるような性格だったら、私は歌なんか歌っていないし、曲も作っていないと思います。で、ものを作る人っていうのはだいたいそんなもんじゃないかなと思うんですけど。普段溜めておいて、いっきに作品の中で爆発させる。いつもは出し惜しみして、使わない。  KILIAN: そのブログの関連で特にフジテレビの「トリビアの泉」のコメントが思い浮かびます。「テレビがたれ流すものによって、視聴者が教育されるので す」と言いましたが、ご尤もだと思います。 ただし最近ではテレビを全くみない人も増えています。その分YouTubeや他のインターネットメディアを見ているようですが。人によってそれがメディアの「民主化」でもあり、メディアをやっと自由にさせる革命だと喜ぶ声も上がっています。私としては「民主」という言葉には「大衆」という意味合いもあり、増々メディアの質は低下する可能性も少なくはないでしょう。現に日本に限らず民放のテレビは受け狙いばかりして、レベルが国営の放送局よりだいぶ低いと思います。インターネット時代と Web 2.0か可能にしたメディアの民主化はK. JUNOさんとしては「祝福」でしょうかそれとも「たたり」でしょうか。 K. JUNO: うふふ。ん~「たたり」かな。一口に言って「衆愚」、「mobocracy」というんですか。「人が三人以上集まると、ろくな事をしない」という言葉がありますけども。大勢の専門的とは限らない、理性的であるとも限らない意見をすべて平等に尊重したとすると、その中に思慮深くしりしおくに走らない、洞察の深い声っていうのがどのくらい含まれているのかということだと思うんですね。それを考えると私はいつも目の前が真っ暗になりますね。民主主義というのは凡にして、いい加減なものであっても何でもかんでも同じ価値を与えてしまうという危険が常に付きまとう物であって、だからこそリーダーを選ぶ際には慎重さが欠かせない、じゃないかなと思うんですけど。 ウェブというものは皆の思考を統括するという事ができない。情報をどのように受け取り、どう証明・検証していくかというのは受け取り個人個人の問題になって来るので、それができないで鵜呑みにしてしまう。そうするとどんどんどんどんおかしな方向に膨らんで行ってしまうのではないかという風に私は奇遇しています。 またそれを利用しようとする企業であり、またメデイアなんっていうのはあるという複雑な状況に置いて、本当の民主、民主的な状態というのがあり得るのかという疑問もあります。行き着く先は泥沼の底であって、少数のリーダーによって導かれて行くのか、無理矢理そこに押し込まれるのかあるいは自分の意思で飛び込んで行くのかその違いだけじゃないかという気がしますけどね。ただ自分で思い込んで突っ走ってしまう人たちというのは中々目が覚まさせにくいんじゃないかなという心配はありますね。 KILIAN: なるほど。2000年から2005年までご自分のCDを出されなかった、かなり長いブランクがありますが、その間は何をなさっていましたか。 K. JUNO: あまりブランクだと思っていないんですけど。ミュージカルの歌の指導をしたり、年に一二回他のミュージシャンと共作発表していたりとか、後、あるバンドのまだ発表されていないアルバムに参加したり、何てことはしていましたね。 KILIAN: それで近いうちにまた新作のCD期待はできますか。 K. JUNO: 作りたいですね。まだ具体的な計画とか方向性というものはないんですけど。ま、色々やりたい事はあるんで、取りかかるとすれば来年以降の話になりますけど。もしかしたら、他のミュージシャンとの共作は先になるかもしれないですね。 KILIAN: iTunes Music StoreにもK. JUNOさんの曲が購入できますが、普段はそちらの音楽にはDRM(Digital Rights/Restrictions Management)がかかっています。DRMに関してご意見を聞かせていただけますか。 K. JUNO: ん~。ミュージシャンの立場としては別にどうでもいいかな(笑)っていう感じなんですよね。そいう著作権管理っていうものに関しては本当の作者自身であるとか、作品そのものを置き去りに論じられているような気がするんですけども、契約上権利を持っているレーベルであったり、また権利に全く関係のない著作権管理団体ですね委託されてお金を徴収して手数料をとっているという団体の利益しかないという感じを私は受けているんですけども。 それは本当にビジネス的な問題であって、作者としては広く聞いてもらいたいという気持ちもありますけれども、決してそれはただで配りたいという意味ではないと思うんですね。もちろん中世のように芸術家を保護するパトロンというのがいるんだったら話は別なんですけども、音楽という生産物というものがなぜお金を払う必要があるかどうかという議論の対象になるのかというのは、若干理解に苦しむ現象ではありますね。 もし本当に自分の音楽をフリーで使って欲しい、全部フリーで使ってくただいという人がいるとしたら、その人は音楽を仕事としてやる意思はないという話であって、芸術に対する考え方ではなくて、ただのライフスタイルの違いですよね。ま、本当に趣味的な感覚としてはどんどん使ってもらうのは嬉しいことで、まああまり大きな声ではいうっちゃいけないかもしれないですけど、欲しがられないと始まらないなって思うんで、滞貨が支払われているかどうかに関わらず、あっちこっちで聴かれるっていうのは正直嬉しいことなんですけども。ま、この辺はどうするのがいいかという結論はないかもしれないですね。このデジタルデータのコピーマネージメントは、現在ではCD、MD何かにも掛けられている訳ですけども、実際には録音危機に掛けられている訳ですけど、そういう機材の登場した当初というのはコピーマネージメントという概念はなくて、付いていなかった訳ですね。で、現在はそれがことさら問題視されるといのはデジタルデータはその質を落とさない状態で大量に短時間で配布できるようになったし、実際そいうことが行われているということがあると思うんんですけども。ま、究極的には皆が正直だったらいらないものですよね。実際に違法ではないコピーをしようとしているのにガードがかかったりとか、違法なコピー何かしないのに、デジタル機器を買う時に保証金が上乗せされていたりという場面では非常に頭にきますよね。 で、MP3っていうのは音が良くないので、ラジオのオンエアとかテレビでまただだと思って、聴いている音楽と同じような使いであってもいいかもしれないですけども。本当にCD音質で曲がやりとりされてしまうと実際にCDが売れなくなる訳ですよ。今ビジネスとしてそういうCDを売るのは古いとビジネスの形として批判する人はいるんですけれども、アルバムっていうのは、アーティストが本当に伝えたいことというのをこうぎゅっと詰めたもんじゃないかと思うんですね。 なので、本当に聴きたい曲だけを曲単位でCD音質で買えばいいんだ、ネットからダウンロードその都度すればいいんだということになるとキャッチな部分だけになってしまうんですね。本当に商業の部分だけになってしまってアートという部分がどんどんどんどん失われて行くんじゃないかなという風に思いますね。アーティスト側もそういうアプローチをしなくなって来るかもしれないし、聞く側も音の表面しか聴かなくなるどんどんどんどん薄っぺらい、奥行きのない一目で分かるものだけの世界に実際そういう風に今なって来ていると思いますね。何か主題がちょっとずれましたけど… KILIAN: Podsafe Music Network ( music.podshow.com )にもK. JUNOさんの曲が載っています。実はそれでK. JUNOさんの音楽と初めて出会いました。Podsafe Music Networkやポッドキャストの事をどうやって知りましたか。 K. JUNO: ん~。たまたま何か見つけたっていう感じですね。私は1997年の2月から自分でホームページを公開していて、音もそこで鳴らしているんですけども。当時音のなるホームページというのはほとんどなくて、海外では皆無に等しかったと思うんですね。MP3というものもまだなくて、RealAudioだったんですけども、何かあまりにも早くやり過ぎたというのか、皆がやり始める頃にはもう飽きていたという感じなんで、何か知らない内に流行っちゃってっていう状態なんで、久しぶりに長~いことを放ったらかしにしてたのを整理しておこうかなと思った時にたまたま見つけたですね。 KILIAN: この間改めてK. JUNOさんの曲をPMNで見たら、いくつかの曲の日本語版もアップされていました。なかではWEB限定の日本語版もありましたね。やはり今後は日本語の曲増やしていく予定ですか。 K. JUNO: うん~ 予定という程予定ではないですけど、日本語の音というのは必要であれば、自然に日本語で出すでしょうし、日本語になるものもあるしならないものもあるので、今年の春に今まで英語の曲を何曲か日本語で発表したんですけれどもその反応を見る限りでは別に日本国内において、日本語であるかどうかというのはあまり関係ないのかなという感じは受けているんで、その都度だいたいやっぱり英語の曲を先に作っちゃうんで、日本語にしたいなと思えば日本語にするでしょうし、もしかしたら日本語で出てくる曲もあるかもしれないですけども、日本語の音が欲しいなという時には日本語で作るかもしれないですね。